旧ソ連の映画監督 アンドレイ・タルコフスキーが、映画について、シナリオ、映像、俳優、美術、音楽、観客という要素を、主に自作を通して、自らの考え・信念を率直に述べている本だ。
私は、一時、タルコフスキーの映画に強く惹かれ、その映画を何度も見たが、タルコフスキーが映画、特に自作について語っている、まとまった文章があるとは全く知らなかった。
「ぼくの村は戦場だった」「アンドレイ・ルブリョフ」「鏡」「惑星ソラリス」「ストーカー」「ノスタルジア」「サクリファイス」…
これらの作品の中でひときわ熱心に語られているのは「鏡」で、この作品はタルコフスキーの自伝的作品と言われているが、彼が自分自身の記憶と感覚の相当深いところまで降りていって、この映画を作り上げたことが分かる。
「鏡」のなかで私が語りたかったのは、自分自身についてではない。まったくそうではなくて、近い人々とのかかわりのなかで起こってくる感覚について、彼らとの相互関係について、彼らにたいする永遠の慈しみや自分の無能力について、つまり償いがたい義務という感覚について語りたかったのである。
「鏡」の主人公が抱える重い憂愁を感じさせる言葉だ。彼は自分の考えをすべて共有するため、撮影中は、カメラマンや撮影班と片時も離れず過ごす一方で、自分の母親を演じたマルガリータ・テレホワに対しては、母親がその後どういう運命をたどるか、映画における彼女の役割について全く説明しなかった。説明することによってテレホワの演技に影響を与えることを避け、自分の母親同様、自分の運命を何も知らなかった状態に置くために。タルコフスキーは、観客にとってこのうえなく誠実な芸術家だった。
タルコフスキーのこうしたこだわりは映像の完璧な美しさ、詩的な映像がつむぐ本物の記憶のような感覚となって、見る者の情緒と思考を呼びさまし、強い印象を与える。
この映画に対する制作の姿勢は、今や主流となった商業映画とは対極の位置にあることが、あらためて分かる。
(タルコフスキーは商業映画を、観客の中に残っていた思考と感情を完全に決定的に消してしまうものであり、「コカ・コーラ」の瓶のように消費されるものだと言っている)
最後の2章「ノスタルジア」と「サクリファイス」についての説明も興味深い。
「ノスタルジア」は、タルコフスキーがイタリアで撮影したもので、それまでの旧ソ連の雰囲気とは違うものを感じていたが、タルコフスキーによると、
…私が作ったのはあらゆる意味で…道徳的にも、精神的にも、情緒的にも…きわめてロシア的な映画であった。…私は完全に方向を見失ったロシア人についての映画を作っていた。
と語っている点も意外だった。最後の不思議なシーン…主人公のロシアの家が、イタリアの寺院の壁の中に置かれていたことも、そういう意味だったのかと今更ながら理解できた。
そして、以下の文章
「ノスタルジア」において私が重要だったのは<弱い>人間というテーマを継続させることであった。…私は実際的な意味で現実に適応できない人が常に気に入っていた。私の映画にヒーローは存在しなかった。しかし、強い精神的な信念を持ち、他者にたいする責任をみずから引き受ける人々は常に存在していた。
を読んで、確かに彼の映画に出てくる主人公たちは、上記のような人々だったこと、そして、彼の映画を観た時に、単に映像の美しさだけでなく、そういう<弱い>人々が起こす奇跡に心を動かされていたことに改めて気づいた。
五十四歳という若さで亡くなったことが本当に悔やまれる。彼が次回作として構想していた「聖アントニウスの誘惑」はどんな映画だったのだろう。