2022年7月18日月曜日

映像のポエジア 刻印された時間/アンドレイ・タルコフスキー

 旧ソ連の映画監督 アンドレイ・タルコフスキーが、映画について、シナリオ、映像、俳優、美術、音楽、観客という要素を、主に自作を通して、自らの考え・信念を率直に述べている本だ。

私は、一時、タルコフスキーの映画に強く惹かれ、その映画を何度も見たが、タルコフスキーが映画、特に自作について語っている、まとまった文章があるとは全く知らなかった。

「ぼくの村は戦場だった」「アンドレイ・ルブリョフ」「鏡」「惑星ソラリス」「ストーカー」「ノスタルジア」「サクリファイス」…

これらの作品の中でひときわ熱心に語られているのは「鏡」で、この作品はタルコフスキーの自伝的作品と言われているが、彼が自分自身の記憶と感覚の相当深いところまで降りていって、この映画を作り上げたことが分かる。

「鏡」のなかで私が語りたかったのは、自分自身についてではない。まったくそうではなくて、近い人々とのかかわりのなかで起こってくる感覚について、彼らとの相互関係について、彼らにたいする永遠の慈しみや自分の無能力について、つまり償いがたい義務という感覚について語りたかったのである。

「鏡」の主人公が抱える重い憂愁を感じさせる言葉だ。彼は自分の考えをすべて共有するため、撮影中は、カメラマンや撮影班と片時も離れず過ごす一方で、自分の母親を演じたマルガリータ・テレホワに対しては、母親がその後どういう運命をたどるか、映画における彼女の役割について全く説明しなかった。説明することによってテレホワの演技に影響を与えることを避け、自分の母親同様、自分の運命を何も知らなかった状態に置くために。タルコフスキーは、観客にとってこのうえなく誠実な芸術家だった。

タルコフスキーのこうしたこだわりは映像の完璧な美しさ、詩的な映像がつむぐ本物の記憶のような感覚となって、見る者の情緒と思考を呼びさまし、強い印象を与える。
この映画に対する制作の姿勢は、今や主流となった商業映画とは対極の位置にあることが、あらためて分かる。
(タルコフスキーは商業映画を、観客の中に残っていた思考と感情を完全に決定的に消してしまうものであり、「コカ・コーラ」の瓶のように消費されるものだと言っている)

最後の2章「ノスタルジア」と「サクリファイス」についての説明も興味深い。
「ノスタルジア」は、タルコフスキーがイタリアで撮影したもので、それまでの旧ソ連の雰囲気とは違うものを感じていたが、タルコフスキーによると、

…私が作ったのはあらゆる意味で…道徳的にも、精神的にも、情緒的にも…きわめてロシア的な映画であった。…私は完全に方向を見失ったロシア人についての映画を作っていた。

と語っている点も意外だった。最後の不思議なシーン…主人公のロシアの家が、イタリアの寺院の壁の中に置かれていたことも、そういう意味だったのかと今更ながら理解できた。

そして、以下の文章

「ノスタルジア」において私が重要だったのは<弱い>人間というテーマを継続させることであった。…私は実際的な意味で現実に適応できない人が常に気に入っていた。私の映画にヒーローは存在しなかった。しかし、強い精神的な信念を持ち、他者にたいする責任をみずから引き受ける人々は常に存在していた。

を読んで、確かに彼の映画に出てくる主人公たちは、上記のような人々だったこと、そして、彼の映画を観た時に、単に映像の美しさだけでなく、そういう<弱い>人々が起こす奇跡に心を動かされていたことに改めて気づいた。

五十四歳という若さで亡くなったことが本当に悔やまれる。彼が次回作として構想していた「聖アントニウスの誘惑」はどんな映画だったのだろう。

2022年7月3日日曜日

ナチスのキッチン 「食べることの環境史」/藤原辰史

 題名に面白さに手を取ってみたが、台所というどこの家にもある一見ありふれた場所が、どのような進化(変化?)を遂げてきたのかというテーマを、その変化に無視できない影響を与えたナチスドイツ時代の取り組みを紹介していて面白かった。

なぜ、ドイツかという点で言えば、ドイツは第一次世界大戦期に約七十六万人という餓死者を出し、1930年代には再び食料危機に悩まされていた点から、食べ物のインパクトが一際大きな国だった。
加えて、ナチス時代は、いい意味でも悪い意味でも徹底した「合理化」が求められた時代だった。その合理化の波は、家庭の台所というプライベートな場所にも及んだ。

アメリカの機械技師であるフレデリック・ウィンスロー・テーラーが提唱した「テーラー主義」は、分かりやすく言えば、目分量ではなく科学主義を、生産の最大化、最大の能率化を目指したものだった。ドイツは、アメリカと並んで二十世紀前半の産業発展をリードしてきたが、「テーラー主義」のもっとも熱烈な受容国のひとつであったという。

そして、台所の進化に大きく寄与したのが、次の三人の女性というのも興味深い。

一人目は、ヒルデカルト・マリギス…消費者運動の先駆け。主婦向けの消費者相談所を設立。企業と主婦を結び付ける役割を果たし、電化キッチンを使用したレシピ本を出版。家庭用電気製品の導入促進を進めた。母親はユダヤ系であったこともあり、反ナチ運動に身を投じ、最後には女性刑務所で拷問の末、死亡。

二人目は、エルナ・マイヤー…カリスマ主婦のプロトタイプ。「新しい家事ー経済的な家庭運営の指南書」を執筆し、ベストセラーに。機能的な小型キッチンもデザイン担当した。ユダヤ人であった彼女は、イスラエルに移住し、ナチスの迫害を逃れた。

三人目は、マルガレーテ・リホツキー…建築家。「テーラー主義」に基づくシステムキッチンを設計。システムキッチンはドイツのみならず、世界各地で模倣されるようになる。彼女も反ナチ運動に身を投じ、ゲシュタポに逮捕され、監獄に収監されたが、敗戦後解放され、死刑台から生還した。

いずれも反ナチの三人の女性がその能力を発揮することで、意図せずに、ナチスが求めた台所の合理化に貢献したというのは皮肉な事実というほかない。

ナチスは女性を「第二の性」とし、「第一の性」である男性に奉仕すべき存在と蔑視していた。その女性たちに「食」という人間の活動の基礎の無駄を省く重要な役割を求め、後世振り返ると大きな進歩が得られていたというのも皮肉な話である。

しかし、彼女たちの立場に立てば、その当時のドイツは飢餓と戦争の時代だった。

「最大限の節約に心がけつつ、栄養が豊富にあり、おなかも一杯になり、味わい深い料理を食卓にもたらすこと」を目指して彼女たちが発揮した能力は、多くの一般のドイツ国民を救ったことだろう。

本書のあとがきに、食の機能主義が行き着いたところが「瞬間チャージ」と言われる栄養機能食品であったことや、豪華なシステムキッチンをインテリアだけで、ほとんど使用しない話に触れているが、食糧不足が喫緊の問題となっている今、「台所」の復権は再度起こりうるのだろうか。