2022年5月8日日曜日

チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇/アダム・ヒギンボタム

400ページにわたる本文は、膨大な巻末の注釈と参考資料のリストに支えられ、ノンフィクションを読んだという重みがある。

今、この時期にこの本を読み終えて心をよぎったのは、次の点だ。

1.原子力発電所のリスク

本書を読むと、チェルノブイリ原発事故は、決して作業員の過失によって生じたものではなく、RBMKという原子炉が抱えていた重大な瑕疵を隠ぺいしてきた旧ソ連の政府当局の体質が一番の原因だったことが分かる。福島の原発事故も、東京電力が予見出来ていたのに津波対策を怠っていたことをめぐって係争中だが、チェルノブイリは決して特異な例ではなく、自然災害でも原発事故は起こりうることを証明した。
日本ではそれほど放射能による人的被害が報道等で報じられていないが、本書で取り上げられていた多くの犠牲者(原子力発電所の作業員、消防隊員、軍人たち)の甚大な健康被害を思うと、本当にまだ原発を再稼働させる考えを持っているのですか?と問いたくなる。

2.ロシアという国の行く末

今年2月に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻により、チェルノブイリ原発が、ロシア軍に極めて粗雑で危険なやり方で占拠されるという信じられない事件が発生した。
この本を読むと、曲がりなりにも、事故を収束させようと国の威信にもかけて懸命の努力を払っていたモスクワ(ロシア)が、なぜ、こんな国になってしまったのかという思いに駆られる。当時、最高責任者であったゴルバチョフが不完全ながらも掲げていた「ペレストロイカ(改革)」「グラスノスチ(情報公開)」の精神と逆行している今のプーチン体制にも暗い気持ちになるが、原子力のリスクを全く考慮していないかのようなロシア軍のふるまいに、かつてのソ連が西側と競っていた科学技術力の面影は全く感じられないことも気になった。
当時と全く変わっていないのは、国家の命令で死地に大量に派遣されるロシア国民の命の軽さである。
ロシアという国を捨てて出国するロシア人も増えていると聞くが、大義もなく人の命を粗末にする国は間違いなく滅びる。

3.ドラマ「チェルノブイリ 」との違い

この本を読んで最も印象が変わったのは、チェルノブイリ原子力発電所所長 ブリュハーノフだ。ドラマでは、無責任で上役に調子のよいだけのイメージがあったが、この本では、チェルノブイリ原発の創成期にも触れられており、三十半ばぐらいのブリュハーノフが、十年かけて、チェルノブイリ原子力発電所とその関係者が住むための原子力都市プリーピャチを創りあげた責任者だったということには驚いた。このような仕事ができたということは非凡な才の持ち主であったことは間違いないだろう。その彼が、ほとんど弁明も取り上げてもらえず、事実上の「いけにえ」として、原発事故の責任を取らされたということも、国家に都合よく取り扱われる個人の運命のはかなさを感じた。

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