◎海の魚鱗宮
冒頭、古事記にある兄の火照命の釣針を失くしてしまった弟の火遠理命に、兄がもとの釣針を戻せというエピソードが出てくるが、これは、もちろん、主人公の寿子が記憶の底に沈めた自分の帽子を失くした女の子との出来事に重ねている。
山岸凉子の作品では主人公が遠い記憶を呼び起こす際に、効果的に海の風景が現れる。
その海の風景に現れる可愛い女の子。
寿子は彼女が誰なのか思い出せないが、十数年ぶりに海の傍にある郷里に戻ることで、自分がかつてその女の子と海辺で遊び、貸した帽子を海に流してしまった彼女に取り戻すように責め、その場を立ち去ってしまうが、翌朝、彼女が海辺で遺体となって見つかった事件を思い出す。
自分にとっては悪夢のような消したい過去。これは生きていれば誰にでも起こる出来事。それを彼女は忘れるため、十数年も郷里に戻らなかったことに気づく。
この物語の先は、読んでいない方のために書かないが、しかし寿子は悪夢のような消したい過去の再生と対峙することになる。
しかし、本当に事の真相に気づいていなかったのか、私には疑問が残る。
それは、彼女が自分の娘に男の子のような恰好をさせていたこと。このおかげで娘は重い被害を免れるが、単なる無意識でさせたとは思えない。
つまり、主人公の寿子は、実は事件の真相を知っていて、あえて娘を守るために、そのような格好をさせていたと私は思う。
寿子が女の子の霊に呼ばれたのか、彼女が自分の悪夢のような過去を清算するために、<無意識に>勇気を振り絞って郷里に帰ったのか。重大な出来事の場合、人生に偶然はない。
◎瑠璃の爪
これは妹が姉を刺し殺した事件について、関係者の証言を描きながら、一見仲がよさそうだった姉妹の間に横たわっていた闇を描いた作品。
「〇〇さんは妹思いのいい人でしたよ。」
「〇〇さんは小学校の時は元気であかるい人でしたよ」
というような発言は、犯人の周りにいた人への取材でよく耳にするような言葉だ。
しかし、本当はそれだけではない何かが隠されているはずで、それに気づていた人もいるのだろうが、あえて喋らないのか、取材の対象からは漏れてしまっているのかもしれない。
無意識の悪意というのは怖い。
あとがきで内田樹が「源氏物語」で六条御息所の嫉妬が「生霊」となって葵上や夕顔を呪殺した話を取り上げているが、この物語では「生霊」がわが身に戻ってきてしまうという解説をしているが、確かに!と思うと同時ににわかに怖い話だなと思った。